2018年 4月 30日 (Mon) 北海道旅行行ってきた

ちょっと思うところがあって、北海道旅行に行ってきた。札幌時計台が見たかったんだ。
2階建のしょぼい建物だった。まぁしょぼいのは想定通りで、それでもこの札幌時計台が見たかったんだ。

札幌時計台外観

子供の頃、生まれつき心臓病という事でイジメを受けてきた。友人と信じた人に裏切られたりして、そんな人間として生きるくらいなら、人間を苦しめるための悪魔になりたいとさえ思った。苦しみから逃げるために死ぬのではなく、苦しみと戦うために生きる事を選び、その時から、基本的には復讐のために生きている。その時から友人というものは作らないようにしている。復讐の必要が出た時ためらいを持たなくて良いように。

時が経って、どうも自分の中の時間がイジメを受けた11歳当時のまま止まっているらしい事に気付いた。女子高生とか、年上のお姉さんとしか思えない。自分と同じ実年齢の女性は、母親の年代としか感じられない。そうなってしまっているらしい。ロリコンと呼ばれる人々の中にはおいらと同じように、小さい頃にイジメを受けてそうなった人もいる。

おいらはどんな苦しみでも他人への憎しみに変える事が出来る。だから自分はどんな苦しみでも耐えられる、と思ってた。でもそれはおいらにとって可能というだけで、他の人が同じ考え方が出来るわけじゃない。だから、おいら以外のロリコンの人は自ら人生を終える決断をする人もいる。

見殺しにしてるよね?
って事に気付いた。

おいらは今まで何を言ってきた?
イジメを行うような『人間』という生き物に正義など存在しないと言ってきた。『人間』が信仰する『法律』などという科学的根拠の無い教義には服従などしないと言ってきた。

実際はどうだ?
おいらがやってきた事は、『人を殺してはいけない』という『人間の正義』に耳を傾け、自分と同じ苦しみをもつ人々を見殺しにする事だけだ。戦うと言いながら、普通で無い人間が攻撃を受けている事に対して傍観者であり続けただけだ。死人が出るまで。

まぁそんな思いがあって、自分にとって戦うという事を見つめ直したいという思いがあって、北海道に行こうとなった訳だ。

イジメを受けていた当時、高橋名人というのがいて、シューティングゲームが流行っていた当時の子供の憧れだった。この高橋名人が働いていた会社がハドソンと言い、北海道にあるゲーム会社だった。雑誌なんかで北海道と紹介される時、決まって札幌時計台が描かれた。そんな訳で、おいらにとって憧れの場所だったんだ。
当時高橋名人は、人生とは戦うことだと言っていた。その言葉がなければ、おいらはイジメに対して戦う事ではなく逃げる事を選択していたのかもしれない。

まぁ、時計台を見たからといって特別な思いは何もなかったんだけど。

札幌時計台内部

時計台の中に入ることができて、中にはクラーク博士の像があった。クラーク博士って何をした人なのかと思ったら、単に雇われ教師だったそうで。雇われ教師の像って・・・

でもこのクラーク博士、『少年よ、大志を抱け』という有名な言葉を残した人らしい。
もしクラーク博士に、『私は生まれながらに持った異常性を理由に、その人を攻撃する人間にはならない、そうした差別者を許さない、その様な攻撃者を滅ぼし、全ての人が共に生きる事ができる時代を実現させる』と言ったらどんな顔をされたんだろうね。今となっては知る事はできないけど。

自殺者を出しているロリコンと呼ばれる人々への攻撃は、法で裁かれないというだけで殺人に他ならない。人は片腕を失っても死にはしない。生き続けたいという意思を完全に失ったりしない。でも存在そのものを否定される事による苦しみは人を死に導く。生き続けたいという意思さえ失わせる。どちらの苦しみが大きいかなんて、精神の専門家で無くても分かりそうなものだけど。でも実際は精神の専門家すら、それがどれほどの苦しみかはわかってないらしい。例え東大病院の精神科医だったとしても、だ。

誰が理解できる?
誰が盾になれる?
誰が共に戦える?

攻撃を受けて、その苦しみを知った者だけだ。
おいらは心臓病としてイジメを受け、その苦しみを知りながら、傍観者であり続けた。
ガンジーは暴力を否定せずインドは核保有国となった事、キング牧師はマルコムXの死後、穏健派から急進派に変わった事、アメリカの黒人解放は南北戦争が必要だった事を知りながら、人を殺してはならないという言葉に耳を傾け続けた。

見殺しにする事は自分で望んだ結果では無いけれど、それでも自分の選択の結果に他ならない。でも自分で選択してきた部分に関しては自分で変える事ができる。

人を殺してはならないという、現実に存在する差別を唯一解決可能な手段を放棄させようとする虚言に耳を貸さないよう変わる事ができる。
普通で無い人間を虐げ悦に入る人間の正義に従って自らの行動を制限する生き方では無く、普通ではない人間の盾となり、普通で無い人間を攻撃する者を滅ぼす剣となり、悪と呼ばれる生き方を選ぶ事ができる。

なんか子供の頃からわかってたのに、なんだかんだ理由をつけて逃げてた気がするな。

戦おう。
武器を持って立ち上がろう。
自分の人生の最期に、自分が憎んだ『人間』になり下がってしまわないために。
死刑になることを回避したとしても、死そのものは回避できない。苦しいままの人生で終わるか、一矢報いて終わるかということ。もっと言えば、苦しみを生む社会のままですますか、少しでも清らかな状態に社会を浄化した上で後世に残すか、という違いだ。

オリンピック合わせかな。せっかくのお祭りムードだし、ぱ〜っといこう。
何が許せないかって、機会均等と完全参加を理念としたパラリンピックを、普通でない人間を踏みにじってる国が開催するのが許せないんだ。

例え親に売られた娘がいるのだとしても、共存する事を捨て、誰かを排斥する事で自らのみの幸福を求める考え方を正義とする限り、万人が幸福となる社会は得られる事など無いのだから。それは機会均等でも無ければ完全参加でもない。排斥された人間にとっては。

そして他人と共に生きる事を拒絶した人間は、個人で手に入れられる幸福以上の幸福を手にするべきではないと思う。なぜなら個人で手に入れられる幸福以上の幸福を手に入れるために行う行為が他者との共存であり、社会契約であって、共存を拒絶するという事は自らその権利を放棄している事に他ならないのだから。共存の拒絶と自由の剥奪が合わさることが戦争そのものなのだから。

いろいろもやもやしてたけど、フェリーの旅はよかった。新幹線より安くて宿代わりにもできる。時間かかるしネットもつながらなかったりするけどね。


本日の落書き。性の権力者達
例によって父親不明の子を宿す女の子たち。そういうシチュが個人的に好きなのかも。あとフリル大好き。

ロリ(かわいい)+妊婦(かわいい)=ロリ妊婦(最強)。異論は認めない。

自立した女性は男性に依存しない、だから父親がわかる必要はない、みたいな考え方。フェミニズムってこういうところに行きつくんじゃないの? って気はするんだけど、そうでもないんだろうか。

エンゲルスの本にもあるように、父親がわからない子を妊娠することはできるけど、母親がわからない子を妊娠することはできない。ビッチの人が言うには、女がHしたいと言えばいくらでも男がよってくるが、男はそうではない。だから性の権力者は女性であって、男性は搾取される側、なのかもしれない。
いずれにしても社会的権力を男女平等にしたら、肉体的な権力も合わせると男女平等にはならないよね、的なことを思いました。
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