§ U.P.G.A ぼて腹少女絵の意義 §
No ninpu, No life.


 ぼて腹少女絵を描く個人的な思いについて語るページです。

だって可愛らしいでしょう?
 ちっちゃくてころころしている感じでとっても可愛らしいと思うのですよ。あどけない笑顔にぷっくり膨らんだお腹、というギャップも好きです。
 後はやっぱり、健気な姿が素敵だと思うのです。大人でもお腹が大きくなるのは大変なのに、子供の力で、大きなお腹を抱えて生活するってことはすごいなぁと。だから大人になってから無難に妊婦になるよりも、大変だけど一生懸命がんばるという少女妊婦の方を好んで描く訳です。
 優しい感じがするというのも好き。日本は堕胎大国とも言われるけど、お腹が大きいだけで、この女の子はお腹の子を守ってるんだなぁという気がして、優しい気持ちになれます。いじめっ子的な嫌らしい女性であっても、お腹が大きいと、ほんとは優しい心もあるんだなって感じに思えます。優しくて暖かくて、そんな女性的な(母親的な?)部分が好き。だから妊婦ヌードとか臨月Hとかも好きだけど、やっぱり着衣ものが好き、という部分があります。
 ちょっぴりえろ〜すな雰囲気も大事。妊婦ですから、当然それなりのことも経験済みなわけです。直接的なえろ〜すでは無いけれど、隠すことも出来ないというのがポイントです。

クリエイティブの象徴
 新しいものを生み出す力、それを象徴する姿は妊婦さんかな〜と思います。
 もともと「クリエイト・創造」という言葉は、神様が世界を創った行為をあらわすための宗教的な言葉だそうです。無から有を生み出すという意味で、新たな命・存在をこの世界に誕生させることが出来るという意味で、妊婦さんは神様に近い存在だろうなぁと思うわけです。
 女神様がいるとすれば、創造力の象徴として妊婦の姿になるだろうし、神様が純粋無垢な存在だとすれば、少女や子供らしい姿になるだろうなぁと思います。私にとって、少女妊婦画は宗教絵画だと主張します。少女妊婦の否定は信仰の自由に対する反逆だと(w
 それに、「型破りのチャレンジ」という意味合いもあります。子供のうちに子供を作るなんて常識的ではないこと。それに出産にも耐えられるかどうか、チャレンジ無しには成し遂げられないこと。でもそんな常識にとらわれず、我が身も振り返らないような挑戦を成し遂げることで、初めて新しいものを世に誕生させることが出来るのだと思うのです。発明などもそうですが、過去の常識に対する「不可能への挑戦」という意味でクリエイトの象徴だと思います。だからこそ、「あえて子供のうちに産む」という女の子の絵を描きたいし、絵の中の世界では、妊娠は苦しみを伴わなければならないし、出産は命の危険を伴わなければならないし、子供が子供を孕むことが「常識」であってはならない、という感じです。だから「制服妊婦」とか「ブルマ妊婦」とか「スク水妊婦」とか「巫女妊婦」とか「ランドセル妊婦」なんて常識破りの姿は非常に重要なわけです。

 微妙に関係ないけど、聖母マリアも少女妊婦なんですよね・・・

命の価値
 子供が子供を産んだら、産まれてくる子がかわいそうだと、堕胎を進めるような考え方があります。私はそれには否定的です。経済的にゆとりが無ければ子供が不幸になるとは思わないし、かわいそうだとも思わないです。なぜなら私自身が、それこそ新聞の集金にも居留守を使わなければいけないような家に心臓病を患って生まれたとしても、それなりに幸せに生きているという事実があるからです。
 幸せというものは誰かから与えてもらうものではなく、自分の力でつかむものだと思うのです。子供は子供だけで幸せをつかむ可能性があるわけだし、親には子供の命を自由にしていい権利なんてないと思うのです。人間が他人の命を自由にしていいなら別だけど。
 「子供でもあえて産むことを選択した少女」を描くことは、そんな「経済的理由」による堕胎推進へのささやかな反発の心が含まれています。
 堕胎のすべてを否定するつもりはありません。極端な言い方をすれば、私は手段としての殺人を容認してもよいとさえ考えるような人間だからです。それでも、胎児は逃げることも、抵抗することも、助けを呼ぶことも出来ないわけですから、殺人よりも堕胎のほうが卑怯なやり方じゃないかなぁと思うわけです。社会的に見れば、堕胎は女性の権利というのもわからないではないけど、そういうことを言う人には、「命は大切なものだ」なんて言わないでほしいなぁと個人的には思います。

 なんか絵とは関係ない話になっているような気がしないでも・・・